
太陽の表情がいいよね ♪ 松江のデパートでの一枚。
~昇運童子 起きる刻(とき)だよ 朝日のように 運も昇るよ~
と言葉が添えられていました。
この日の夕飯は、ここにあるお蕎麦屋さんだったのです。
毎日お蕎麦を食べ続けています。
えっと、時間を戻して、出雲弥生の森博物館でのお話でした。
歩き疲れ、ランチも食べ損ね、とりあえず涼しいところで休みたい。。そんな気持ちで
入館し、目的を果たす。 椅子に座れたよーー涼しいよーーー嬉しい。
うーんと人の目を感じる。。多分、今ここの博物館にいる部外者は私だけ(・・?
行動を見られている。。このままトイレだけをお借りしてさようならは出来ない雰囲気。
今朝、傘を持たずに出発し、いまにも雨が降りそうな空模様になっている。。(-_-;)(-_-;)(-_-;)
せっかくなので展示をみていくか ♪
後のことは後で考えることにした。

わーぉ!勾玉やん。キレイやなあ。。それにかわいい形。じーっと眺める。。
後ろに気配が。。とっても珍しい形のガラスの勾玉です。ここ西谷3号墓だけにしかないんです。と
博物館の女性が教えてくださいました。 ほんと形がコロンとしててかわいい。で穴が二つもある。どうやって、何に使うんやろ(・・? そこから彼女にいろんな説明をしてもらったのだ♪
説明が上手で興味深く、面白いのだ。。この時は百舌鳥古市古墳群が世界遺産になるかどうかという時であり、そのことにも興味があったので、関西から来たの。というと、まるでそうでしょう、と言わんばかりの反応。。あれ(・・?顔が大阪ぽいのか⁈なんだか私は関西の香りがするようだ。。
そうそう、ここの古墳は珍しい形をしているのです。弥生の出雲王がねむる西谷墳墓群。
館内には発掘された王墓、西谷3号墓の出土品とその模型が置かれています。
この模型の形、古墳の四隅がすーっつと伸びているのだ。側面には石が積み上げられている。。
四隅突出型墳丘墓といわれるらしく、これは出雲地方を中心とした特徴的な形態のようです。
明らかに前方後円墳を見慣れている関西系の私には、系統が違うように感じられる。。(あっ、私、ド素人ですから。。)ところ変われば。。なのか。。

小学生にときに、先生に云われたことがある。
近くの山で、植木鉢の割れたような破片をみつけても、持ち帰ってはいけません。と。つまり土器などが近所にゴロゴロしているため、壊さないようにとの注意なのだ。
丘の側面から、よく土器の破片が顔を出していたものです。

つい最近、読んだ古事記についての本に、
「ヤマタノヲロチ退治」は物語の面白さの秘密と共に、背後に潜んでいる古代社会の地域学や交流・交易までのが重層的に浮かび上がってくる。。「高志のヤマタノヲロチ」というときの高志=越という呼称は古代出雲の交流範囲と伺わせるもので、神話の背景にある情勢を読み解くうえで重要な手がかりになる。と。( 高志は古代の北陸地方の呼び方なのです )
実際、出雲地域周辺に集中している西谷墳墓群(出雲市大津町)などで見られる四隅突出型墳丘墓という独特の形をした王墓が越(北陸地方)でも発掘されている。
このように神話の背景に潜んでいる地政学や古代の出雲国の交流範囲などを思い浮かべながら、ゆかりの地をめぐるとスサノヲをめぐる旅にいっそうの広がりをもっていく。。そんな文章を読んだのだ。

もうひとつ。「出雲の赤~縄文・弥生時代編」展もみる。
残念なのは、少しお腹が空いていたことです。集中力が。。
パンフレットをもらうことにしました。お家で読むよ。
個人的に、この赤、朱って気になるのだ。
丹ともいうのかな。
縄文・弥生時代の「赤」は「ベンガラ」と「水銀朱」の二つが知られています。ベンガラは鉄が主成分。赤鉄鉱を砕いて加熱したり、鉄バクテリアや赤土などの鉄分の多い土壌を焼いたりしてつくられます。一方、水銀朱が硫化水銀で、辰砂とも呼ばれます。日本では北海道や三重県、奈良県、徳島県の鉱山で産出し、島根県にはない特殊な赤色顔料です。とパンフレットにかかれているのだ。
確か、空海さんも朱にこだわった、はず。。(うろ覚えですけど。。)

受付で、先ほどのお礼をいい、四隅突出型墳丘墓を見に行く。登れるし、内も観れるよ、と云われたが、なんだか申し訳ない気がするのだ。お墓だから(・_・;) なのでぐるーっと一回りして、お邪魔しました。と言って帰ってきました。
おかげ様で、雨に濡れることなく、駅まで迷わずにたどり着けたのです。
出雲の王様ありがとうございます<(_ _)>

松江にもどり街を散策。
かわいい看板ネコさんを発見 ♪
川にはこの子もいました⤵⤵

明日が松江滞在最終日。つづく。
いつもありがとうございます。
すべては大いなる愛のなかで。