*青い石に導かれ(・・?美保から玉作へ

松江に帰るバスの中は、まるで修学旅行のような雰囲気 ♪ 

海外からやってきた子どもたちで満席に。英語が飛び交い、ここどこやったっけ(・・?とふと思う。

場のエネルギーが面白いほど変わった。

 

まだお昼だし、近くの窯元さんに行こうか、と列車に乗る。

JRの玉造温泉駅で降りてみた。

 

駅に置かれていたパンフレットの折り込み地図をみながら、湯町窯さんへ。

柳宗悦氏の「民藝運動」に賛同し、バーナード・リーチ、浜田庄司、河井寬次郎の諸先生から

技術指導をうけた多彩な技術が魅力。と書かれている。

エッグベーカーが有名なのです。魅力的な色合いの器がたくさん。

 

先客の方々が、これはあの人に、こちらはあの方に、と時間をかけて選ばれていました♡

なんだか街を歩きたくなったので、玉造温泉はこちらの看板に沿って進む。

とりあえず行ってみるのだ!川に沿ってテクテクと♫

 

真夏のような日差し(6月ですが)で、

帽子と飲み物を持っててよかったよ。。

 

知らない道を歩くのはワクワクするもので、

汗をかきながらキョロキョロ。

足湯を見つけました♡ 入ろうっと。

あっ熱いー‼お天気のよさがプラスされ熱さも倍増です。。

 

せっかくだし、しばらく我慢して足をつけていると、平気になる。。

う~ん。。ならないねェ~~(-_-;)

数分だけ利用させていただきました。

 

足湯だけなのに、とってもスッキリです。

まだまだ歩けそう ♪

←大きな勾玉 ♪ 何の形なんだろうねェ。。

 

◇勾玉(まがたま)

玉造の名は、古より勾玉や管玉が作られていたことに由来します。

須佐之男命が天照大神に献上した玉造の勾玉が、三種の神器の一つ「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」とパンフレットにある。

 

こちらは、太陽の光でますます輝いておりました!⤴⤴マブシイデス!!

須佐之男命像の手には、勾玉がのってます。

 

松江へ戻るバスはここから乗れるね、バス出発まで時間があります。

橋の向こうにある神社へ行くことにしました。

 

『玉作湯神社』です。階段を上がると拝殿があります。

 

古代より神湯として知られている玉造の地で、玉(まがたま)作りの神様である櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)や温泉の神様である大名持命(おおなもちのみこと)をお祀りする神社。とあります。少彦名命もお祀りされています。

 

『出雲国風土記』および『延書式』にも記載されている古社なのね。櫛明玉命は、出雲玉作部(たまつくりべ)の祖神とされる。

 

そうそう最近読んだ本『玉(TAMA)古代を彩る至宝』には、

「玉」は日本の古墳時代を特徴づける存在である。と。また「玉類」については装飾的な要素や呪的な面が強調されていた。しかし近年の研究では「玉」のもつ権威的側面や生産・流通過程が明らかにされつつあり、同時に古墳時代社会を紐解くうえで実に重要なツールであるととらえられるようになってきている。

古墳時代の石製玉類(メノウ、碧玉、水晶、ヒスイ、コハク等)は各石材の産地付近や王権の膝元の畿内地域で生産されていた。

古墳時代前期から生産を行ってきた出雲の玉作り工人は、中期には畿内王権の膝元に設けられた直営工房群である曽我遺跡(奈良県樫原市)などでも玉生産を行い、後期には花仙山(松江市玉湯町)山麓に玉作工房を集約して倭国の石製玉類生産の大半を担う存在になった。のちの畿内王権からみて、出雲地域が宗教的に特異な位置づけになっていくことと、出雲の玉類生産は無関係ではないのであろう。

古墳時代の玉類研究は、日本列島各地の古墳がどうしてその位置に築かれたかという問題を解き明かすための重要な切り口であるかもしれない。と書かれていた。

お詣りを済ませると、年配の団体客の方々が裏の方からワイワイと拝殿に来られ、何やら楽しそうにお願いごとを紙に書いておられる。。そしてまたワイワイと行ってしまった(・・?

 

境内をくるーっと一周すると、水の音がする、ある石の前にやってきた!『願い石!』

あっ、さっきの方たち、ここでお守り作ってたんやね ♪

 

お詣りする前、階段下の社務所で、手作りのお守りが作れます!というので、

それは何かと尋ねていたのです。

 

面白そうなので、やっぱり私も♪ と作ってきました。

なかに青い石がひとつ入っています。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもありがとうございます。

すべては大いなる愛の中で。