
ランチにパスタを食べに行くけど、行く?と家族に誘われ、前日のお昼ご飯をパスタにするか、カレーにするか迷ってカレーをチョイスしたことを思い出し、二つ返事で承諾した。
そこで訪ねた場所は、兵庫陶芸美術館。
ここにある「虚空蔵」というお店。山の名前なんだそうだが。。
完全無農薬のお野菜は店主の方のお父さんとお母さんの畑でつくられたものだとか。どれも優しい味なのです♪大きなガラス越しに見える景色は、それだけでご馳走なのだ。
食べ終えてお腹が膨れた私は、お腹の大きいカマキリに出逢う。ハアハアと聞こえる息がなんだか苦しそう。今にも産まれそうなぐらいお尻の部分が動いている。ここで産むの?階段の手すりなので、人が行き来するねんけど。。いいんかなあ。。と。でも手は出さないんだ。頑張ってね、と一声かけて後にした。

せっかくなので、街中のポスターをみて気になっていた『 河井寬次郎展 』へ。
この渡り廊下をゆく。かっこいい建物や。

入口の写真の前に立つ。
よう来たなあ。そんな言葉が聞こえたような、ような。。気がする。
この方もなんだかかっこいいのだ。
生み出される形。その形は、その人自身を表現する。天才が生み出すものは、一個人を超えていくのか。。そんなことを感じた。
彼の書き残した文章からもそう思うのだ。。
実用を重んじた力強い作風。。用の美。
そして自分の内側から溢れでる自由な表現。。
その無限の源はどこなのか。。
~多くの人のためになるもの、それが美となる~
モニターから聞こえたそんな言葉が耳に残った。

首を右に傾けてくださいね(^_^;)
陶板『 眼聴 耳視 』とあります。76歳のときの作品です。
『人が探してくれた自分~本』そんな言葉も残している。。

誰かの本の中に、誰かの言葉の中に、自分のカケラを見つけることってある。

これは丹波焼の壺。『猩々』
私が壺をみているのか、壺が私をみているのか。。鎌倉時代からの形。
いつもありがとうございます。
ハートに愛と平和と光を