
この日,朝いちに出会ったトンボさん。
写真撮るからこっち向いて♪というと
こんなふうにポーズしてくれた。
かわいくて、笑ってしまった。
前回のブログの続きますは、ちょっと置いておいて。。(( 寝かせる ))
この頃、発酵や微生物のことを考えているからなのか、
とりあえず、京都の松尾大社へ行こう♪と思ってしまった。


鳥居に何やらぶら下がっている?
枯れてるね。。
神社の方に訊いてみたら、榊です、と。
そうなんや。珍しい。
「脇勧請」と言われる榊の小枝を束ねたもので、12本 ( 閏年は13本 )ぶら下げられ 農作物の出来具合を占うとか。枯れている方がいいみたいね。
数ある酒神神社の中でも、日本三大酒神神社として挙げられる
「松尾大社(まつのおたいしゃ)」「梅宮大社」「大神神社」
嵐山に行くときには、よく立ち寄ります。
が、この日はじめて気がついた脇勘請。。
御祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ)と一杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
境内には亀の井と呼ばれる霊泉があって、この湧き水でお酒を造ると腐らないといわれています。
私が行った時にも、お水を汲んでいる方がいらっしゃいました。
そこでたくさんのヘビの抜け殻を発見する。
ヘビさん、結構いてはるなぁ。。
それも大きいよ、この抜け殻たちからすると。
磐座のほうは通行止めで行けなかったので、
ふもとで手を合わせます。

さすが奉献された酒樽の数がすごいの。
酒神を祀る神社として知られるようになったのは、室町時代の中期以降からで
全国的に有名になったのは、さらに江戸時代のことらしい。
神社から頂いたパンフレットには、
京都最古の神社で、太古この地方一帯に住んでいた住民が、
松尾山の神霊を祀って、生活守護神としていたのが起源といわれています。
五世紀の頃、朝鮮半島から渡来した秦氏がこの地に移住し、
山城・丹波の両国を開拓し、河川を治めて農産林業を興しました。
同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、文武天皇の大宝元年(701)には
山麓の現在地に社殿を造営されました、とあった。
そうなんや。。
山の神様はやはり厳格な感じがする。
私は好きで山の神様のところへおじゃまするんだけど。
ぴしーっとした空気。
そして
だらだらの私との対比。。(・_・;)
後日、図書館で見つけた資料に、
~かっては酒造りそのものが、神事であり、造ったお酒は
神さまとのコミュニケーションの手段として口にされてきた、と
また、古くは「まつり」にあわせて仕込むものであった。
そして「この神酒は我が神酒ならず、倭なす、大物主の醸みし神酒」と
崇神天皇の代 (4世紀ごろ) 掌酒伊活日( さかひといくひ )がうたったように
( 日本書紀 ) 酒造りそのものがカミがとりもつものであった。
米の霊力(稲魂)をもっとも精微に加工した食べ物が酒。
それを尊んだのである~と書かれていました。
以前、酒蔵であったおっちゃんも
酒は、水と米と人やねん!と力説してたなぁ。。
ふと、口噛み酒のことが浮かぶ。。
米などを口に入れて噛み、それを吐き出し
保存して出来るお酒のこと。
ひとまず休憩
でつづく。。
いつもありがとうございます。
ハートに愛と光と平和を